2009年6月8日月曜日

冒険の扉





 初めて“パリダカ”という言葉を耳にしたのは、いつだったのだろう?
TVで報道されていたのをすごいレースがあるものだと感心しながら、そして、自分には無縁なものとして見ていた記憶がある。そのころの私にとって、モータースポーツとはただTVで見るだけのものだったのだ。
 それが、ひょんなきっかけでナビゲーターに起用され、インターナショナルのラリーレイド(オーストラリアンサファリラリー)に参戦するチャンスが舞い込んだのが7年前(1990年)・・・。ドライバーである友川真喜子が、私にナビゲーターとしてのチャンスを与えてくれたのだ。
「あんたなら大丈夫。絶対にできる!」
その言葉で私の中の何かがはじけてしまったのである。


 以来、私の人生は大きく変わり、「日本人レディースチームとしてのパリダカ初完走」の夢が芽生えるまでにそう時間はかからなかった。

 何度かのレース経験を重ね、私が初めてパリダカの「冒険の扉」を開けたのは1996年。
ポジウムに上がった時の興奮!
「サビーヌさん、私、扉を開けちゃいました!」って何度も心の中で叫んでいた。
      
  *「冒険の扉」・・・パリダカ創始者である故ティエリー・サビーヌ氏の言葉。
             『望むなら冒険の扉まで連れて行こう。だが、扉を開くのは君だ』


 

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