2009年7月10日金曜日

1月19日 最終日

サンルイ~ダカール 253km(SS18km)

 友川は決してはしゃいだりしなかった。
握ったステアリングからも友川の真剣さが伝わってくる。
ダカールの海に辿りつくまでの1秒1秒を体の中に沁み込ませているようだ。

・・・・私たちは、とても無口だった。
うっすらと潮の香りが混じったぬるい空気が、全開にした窓から流れ込んでくる。
もうすぐ海が見えてくるはずだ。

バオバブの木が点在する街道から右に折れると、すぐそこがコントロールのはずだ。

しかし、友川は、なぜかコントロールの手前でマシーンを止めた。

ここから、まだ海は見えない・・・。

「行ってくる」
チェックインにはまだ早かったけれど、私はタイムカードをしっかりと握りしめ、マシーンを下りた。

磯の香りというより、干からびた魚の匂いが体に纏わりつく。

これ以上は無理というくらい、ゆっくりとコントロールに向かって歩いた。 なぜそうしたのかは自分でもよくわからなかった。

こじんまりとした家々に囲まれた細い路地を抜けた・・・・。

目の前に砂浜が広がっている。その向こうに・・・・海が見えた。

突然、何かにギューッと体を締め付けられたようだった。
熱いものが込み上げてきて、泣いていいのか、笑っていいのか・・・・。
いったいどうしたら良いのか、わからない。
しばらく海を見つめる。青いというよりは、薄いブルーグレーの海を。

 砂浜には、4輪も、カミヨンも、2輪も、あちこちに無造作に止められていた。

風と波の音が耳元で騒ぐ・・・・。


 海岸脇に設置されているコントロールポイントが目に入った。

「よく来た!あとは18kmのSSを思いっきり楽しめ!」
いつもの、ひげを生やしたスタッフのおじさんが、こんなハッピーなことはないというような感じで私の頭を軽くポンポンと叩いた。それがスイッチだったのか、私の中に7年分の思いがドーッと駆け巡った。


「もう、そこ、海だよ!」

「・・・・いい。ここで。」


え?・・・・はしゃぎすぎた?

・・・・いや、そうじゃない。


 友川はスタートまでの2時間余りを、じっと自分のシートの上で過ごすつもりのようだ。

きっと、ここまでの道のりを3年前から遡り、彼女のやり方でじっくり味わうのだろう。 そう察した私は、友川を独りにしてあげるのが正解だろうと思い、私も私なりにこの時間を楽しむことに決めた。

 まずは、日本人初の総合優勝を決めた篠塚氏におめでとうの言葉を伝えにいった。
氏は静かな微笑みを漂わすくらいで、優勝に高揚している風でもなかった。それが、逆に王者の風格を漂わせているようでもある。もうちょっと興奮していてもいいのにって思うけど、ポジウムに上がったらスポンサーや取材班に囲まれ、しばらくは一瞬も気が抜けないだろうし、日本に帰っても報告会での全国遠征などで、今みたいにのんびり海を眺めていられなくなるのだ。だからだろう。私と交わした会話も、こちらが恐縮するくらいごく普通だった。
 
 それから砂浜で写真を撮ったり、日本人エントラント達と雑談したり、2輪の一斉スタートを見送ったりしてキラキラとした時間を過ごした後、ゆっくりとマシーンの止めてある場所に戻った。

 スタート30分前。

マシーンに乗り込むと、友川は何も言わずにエンジンをかけ、ゆっくりとステアリングを海の方向に向けた。

「海だ!感動!!」

300mほど歩けば、1時間半前にも感動を味わえたはずなのに、友川はじっとこの瞬間を待っていた。 友川にとってこのタイミングこそが最高に感動できる瞬間だったのだろう。顔中、笑顔だ。

 ヘリコプターが舞い上がり、4輪のスタートが合図された。 栄光のビーチラン、トップを演じたのは、上位4位まで独占した三菱勢だ。友川も私も、そのかっこよさに思わず歓声を上げた。

 いよいよ、私たちの番・・・・。

シートベルトをしっかりと締め、目を閉じた。そして、最後のSSのコースをイメージする。

 スタートからまっすぐ海岸沿いに走って、左に折れる。木々に囲まれた砂のピストを抜けると、最後の砂丘が出てくる。砂丘の後はラックローズと呼ばれるピンク色の湖の周りを、ポジウムまでまっすぐ走りぬける・・・・。うん、完璧!

・・・しかし、パリダカは最後の最後まで甘くはなかったのである。

 海岸から左に折れるところでカミヨンと4輪が2台スタックしているのが見えた。避けようとしたが、すでに轍が深く刻み込まれていて、私たちもあっという間に砂に捕まった。すぐに飛び降りて砂を掘る。砂は海水を含んでいるのでずいぶんと重たい。グチョグチョだ。一瞬、ゴールのためにとっておいたおろしたてのチームウエアーが汚れることに躊躇したけれど、もう、そんな場合ではない。マシーンの下に潜り込んで、とにかく掘り続けた。地元の子供達が手伝ってくれたが、猫が砂をかいているようなものでなかなかはかどらない。
「出せたらあんたたちに飴を2個づつあげるから、死ぬ気で頑張るのよっ!」
と、活を入れた時、カミヨンのクラクションが聞こえた。
 
 振り向くと、三菱のサポートカミヨンがこっちに向かって走ってくる!
「あけみ、ロープを出せ!」
「ウイッ、ムッシュー!」
カミヨンに勢いよく引っ張り出してもらい、子供たちに報酬の飴を渡して先を急いだ。
カミヨンは、私たちを先に走らせてくれた。

 木々に囲まれた細いピストに入ると、とてつもなくゆっくりと走っているマシーンに追いついてしまった。
乾燥した砂地だが、掘り返されて砂丘並みにフカフカになっている。

「えーっ!!!」
前のマシーンが突然ブレーキを踏んだ。
追突寸前で止まることができたが、見事にスタックさせられた。その脇をサポートカミヨンがブッシュを乗り越えながら通り過ぎていく・・・と思ったら、バックして戻ってきてくれた。仲間って有難い。

 砂が深く、ピストも細いのでなかなか止まれるところがなかったのか、私たちのマシーンは、しばらくの間、けん引ロープに引っ張られたままでいた。
コース内にはギャラリーがあっちこちにいる。

「すごくカッコ悪い気がするんですけど」
「カッコ悪いけど、アクセル踏んでるし、ハンドル握ってるし、ちゃんと自分で走ってるしっ!」

友川の可愛らしい発言に、笑いながら頷いた。
それでも、引っ張られたままゴールするのも嫌だし、早くどこかで止めてくれないかとイライラ。
ピストが砂丘に変わって道が開けた時、やっとサポートカミヨンが止まったので、けん引ロープを外そうとマシーンを飛び降りた。が!足が砂地についた瞬間、カミヨンが再スタートしてしまった!
え?置き去りにされた!

「ええーっ!アターン! アタン(待って)!」
そう叫びながら、私は必死に砂の上を走った。
この危機をどう回避するか・・・・?ゴールまで残り8キロほどを走る? 後から来る競技者をヒッチハイクする?どっちも絶対にありえなーい!
こういう時、人間は瞬時に色々なことを考えるって本当だ。
考えてもダメなら困った時の神頼みだ!
「もう絶対に悪いことをしません。だからあのカミヨンを止めてくださーい!」
悪いことって、一体何を指して言ったのか、自分でもわからなかったけど・・・・。
とにかくカミヨンは、だいぶ先で止まってくれた。

あそこまで走るの?足がもつれる。重い。息が上がる。苦しい・・・・。

「もっと早く走ってこーい!」
「全速力だぞーっ」
カミヨンのクルーがけん引ロープを外しながら爆笑している。
「あーっ、もーっ!!!」
 その裏側で自分のダサさを誤魔化すために色々な謀略を巡らせている自分もいた。
結局、ゼーゼーと息を切らしながら笑うだけで精いっぱいだったけど。

 クルー達に山ほど文句を言いたかったけれど、カラカラになった喉がひっついていて言葉にならなかった。
「ほら、もう必要ないと思うけど、とりあえず足もとに置いとけ」
丁寧に巻かれたけん引ロープを渡された。
「ありがとう」と言いたいのに声が出せない。代わりにクルー達のホッペにありがとうのキスをしてマシーンに乗り込んだ。

「ばーか!」
友川も笑っていたが、すぐに真顔にもどった。
「早くゴールしなくちゃ!皆が待ってる!」
ラックローズに沿って驀進する。
ゴールの瞬間を確実に手に入れるまで、友川はストイックに彼女自身をコントロールしていた。
何がそうさせるのか、私にはわかる。

ゴールフラッグが振られた。
やっと友川が笑う。
「お疲れ様!」
2人がほとんど同時に口にした言葉だ。この言葉だけで十分に気持ちが通じあった。

8400kmにも及んだ長く苦しい戦いが終わった。


7年間ずっとあこがれ続けてきたポジウムに上る・・・・。
皆の拍手と暖かい笑顔が、私の心を熱く揺さぶった。

頑張ったご褒美に、生きるという過程で自らが溜めてきた不必要なものの忘却を許されたような、さわやかな感動に包まれた。



頑張って良かった!

1997 ダカール~アガデス~ダカール・ラリー

総走行距離 8,400km
出場台数  4輪100台 カミヨン55台 2輪127台 / 282台
完走台数  4輪 61台  カミヨン22台 2輪58台 / 141台
完走率   50%

総合順位 59位

友川真喜子/浅田明美 無事完走・・・







 

2009年7月3日金曜日

1月18日 レグ14

キファ~サンルイ 750km(SS166km)

 SSスタート地まで450kmという気の遠くなりそうな長いリエゾンンのため、今日も早朝、暗いうちからのスタートとなった。とにかく道が悪い。舗装路のあちこちが崩れているし、思ったようにスピードが出せない。最後の最後まで気を抜くなってことだろう・・・・。

 反対に、SSは166kmというショートでハイスピードなコースだった。うねうねと曲がりくねっていて、一瞬の気の緩みも許されない感じだ。タイヤのグリップがいまいちしっくりこなかったので、途中で空気圧を少し下げて走った。走ってみると、あっけなく終わった感じがしなくもない・・・・。
 
 SSを走りきり、短いリエゾンの間に見えた町並み・・・・。
砂色だけの無の世界が、色鮮やかな世界に変わっていた・・・。

どこかで見た絵の中のようだ。

なんだっけ?

・・・・あぁ!沢田としきさんが描くアフリカだ!

生ある喜びを空と大地に感謝し、太鼓に合わせて踊る人々を描いた絵だ!
すごい!絵の世界と目の前に広がる景色がシンクロしている。出発前には気がつかなかったけど、ここには生のエネルギーが充満している。

 サンルイに着くと、監督やメカニック達が暖かく迎えてくれた。いつものようにワインやパスティスを手渡してくれる・・・・。いつもより多めにワインやチーズなどのおつまみがテーブルに乗っている。
かすかにパーティーの雰囲気・・・・。
・・・・そうだよな。今夜が最後のビバークだ。皆、思い残すことのないよう楽しんでいるんだろうな・・・。

「アケミ、それ、早く飲め!」
一瞬、怒られたのかと勘違いするくらい大きな監督の声・・・。
「シャワーだ。明日ポジウムに上るのに、そんなに汚いままじゃ、スポンサーも喜ばないぞ!」
明日が最終日だなんて、まだ実感がないので、そう言われてもピンとこない。そうだよなぁとは思うけど・・・・・。友川もあんまり行きたそうでもなかった。反応の鈍さがおもしろくなかったのか監督が付け加えた。
「熱いシャワーだぞ!」
「行く!」

「熱い」に反応した感じだったが、パスティスの残りを一気に飲みほし、私と友川はトラックの荷台に乗り込んだ。ぬるい風にあたりながらサンルイの町を少し走る。
ちょうど太陽が沈む時だった。
町も、そこを歩く人々も、トラックも、私たち自身もオレンジ色に照らされていた。
何もかもがあまりにも綺麗で泣けた・・・・。

  チームが借りているホテルのお部屋でシャワーを浴びると、これまでの疲労がどっと押し寄せてきたようだ。さっぱりとこぎれいになった私たちは、目の前のベッドにもぐりこみたい衝動を抑え、ホテルのラウンジに降りていった。とりあえず今のこの時間を楽しみたい。
・・・・・そう思っているのは私達だけではなかったようだ。ラウンジは多くの競技者やその関係者でワイワイしている。

 友川は明日のゴールのことは一言も話をしない。ちょっとは浮かれてもいいのに、普段と変わらない・・・・。いつものように冗談ばかり言って周りの人を笑わせている。
 友川のそういうところって、本当にすごいと思う。スタート前に緊張していたのは知っているけど、今夜はありがたいくらい普通だ。そういう私もなんだか疲れすぎていて思考が止まっているのか、フワフワしたままだ。明日がゴールだなんて・・・やっぱり実感がわかない。

 小一時間をそこで過ごした後、ビバーク地に戻った。そして、いつもと同じようにワインを飲みながら夜空を眺め、いつもと同じようにテントの中にもぐりこんだ。乾いた太鼓の音がいつまでもなり続けている・・・・。目が覚めたらいよいよダカールか・・・・。
長年見続けてきた夢が現実となる・・・・はず。